No.58 ファイナル・カット 試写会 千代田区公民館

doradora05112005-12-13

http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=323811
1.★★★☆☆←客観的な目で見た評価
2.★★★★☆←思い入れを含んだ評価

解説: 『レナードの朝』などの名優、ロビン・ウィリアムズと『パッション』のジム・カヴィーゼル共演の近未来映画。久々にスクリーンに登場するミラ・ソルヴィノの姿も見逃せない。個人の人生を左右する記憶チップを巡っての攻防がスリリングだ。プライバシーが他人の手で編集されるという発想もすごい。追悼会では人生の良い場面のみを流すという偽善も鋭くえぐり出した意欲作。
ストーリー: 近未来では脳に埋め込んだチップに個人の生涯を記録し、死後編集された映像を追悼会で流すのが流行していた。編集者のアラン(ロビン・ウィリアムズ)は大物弁護士の依頼を受けるが、かつての同僚(ジム・カヴィーゼル)にチップを譲れと脅される。yahooから抜粋

私は好きなタイプの映画です。でも、興業的にはイマイチでしょう。
「個人の人生を左右する記憶チップを巡っての攻防がスリリングだ。」って書いてますが、それほどスリリングではありません。サスペンスなんでしょうが、サスペンスだと思って見に行くと、肩透かしを食らいます。
以下ネタバレ
真面目な役のロビン・ウィリアムズは、年相応の渋い演技を見せていました。主人公のカッター(編集者)アラン(ロビン・ウィリアムズ)は幼い頃の不幸な出来事を忘れられない。そのせいか、記憶チップを使った映像の編集の仕事をしている。どんな人の人生にも明暗はある。アランは人生の良い場面のみを編集する。普通の人では受け入れられないような人生を過ごしてきた故人の編集も引き受ける。少々変り者。本屋の恋人(ミラ・ソルヴィノ)がいる。その恋人の昔の彼氏は、既に故人。彼も記憶チップの追悼会を行っている。
大物弁護士からの依頼を受けたことで、物語りは進展。
1.この大物弁護士は記憶チップを作る会社の顧問弁護士。ある理由により記憶チップ反対派に属する元同僚(ジム・カヴィーゼル)が、会社を潰すために弁護士の記憶チップの買取(50万ドル)を依頼。それを拒むアラン。
2.弁護士の記憶を見ていると子供(少女)との関係が見えてきた。
3.奥さんから故人の思い出を聞くアラン。家族に関する事以外は映さなくて結構!!
4.弁護士の記憶チップにアランの友人らしき人物が!!
この4つの出来事(プラス恋人のとの関係)が軸になって話は進みますが、結局この話はアランの話です。主人公なので当り前ですが、アランの記憶に関してのある事情が・・・・。
そういう意味ではサスペンスというより自己認識の映画だと思いました。舞台は近未来ですが、それっぽさがあまり無い映画。
ストーリーはさて置き。
この「記憶チップ」。実際に実現しそうな技術。生まれる前に埋め込んで、本人が埋め込まれている事実を受け止められる歳になったら告知する。これが一般的みたい。20人に1人が埋め込んでます。そうそう話は前後しますが、この映画の始めの方で「編集者」に対する規制が流れます。これは重要です。ボーっとしないでしっかり覚えておきましょう。
さて、記憶チップを使ってどうやって編集するのか?「ギロチン(いいネーミングですね)」という機械を使います。デザインは素敵。機械というより家具みたい。膨大な時間を整理する方法は、チョッとだけ流れます。ストーリーにあまり関係無いので、その部分は軽く触れただけ。小道具が好きな私としえは、もう少し仕組みを見たかった。
疑問があります。人間は母親の胎内にいる時に目が見えているの?同様に生まれた瞬間から目が見えるの?これは科学的に証明されているのかしら。その映像が映っているのは違和感を感じた。
当然ながら自分の顔は殆ど見えません。鏡に向かう時だけ。やたらと歯磨きのシーンが出てきます。男性が(女性のチップは出てこなかった)鏡に向かうのは歯磨き、ネクタイ、髭剃りetc。
話は逸れますが、たまたま見ていた月曜ミステリー劇場のトリックがこれでした。映している者は映像には映らない。しかし、このドラマ。ちょっと引っ掛かる。犯人の動機が最後まで全くわからない。警官が犯人に「動機は何だ?」と聞いていました。確かに普通のサスペンスドラマは動機が中心でトリックは添え物のパターンが多い。でも、全く分からないって言うのはどうだろう?
犯人はキャスティングを見れば分かるし。奇を衒ったのか?
さらに話は逸れて。このドラマに出ていた南野陽子さん、私と同じ歳です。綺麗です。と何気にミラ・ソルヴィノも同じ歳でした。お綺麗でした。映画とは関係無いですね。
話を戻して。
この映画では、記憶チップに対する反対運動が盛んです。反対の理由は、誰でも自分の記憶を自分だけのもにしておく権利がある、から。もし実際にこの技術が可能になっても、私は付けられたくない。自分の子供が出来ても付けたくない。
アランの編集者が雑談の中でこんな話をしてました。
「ある女性が荒れた生活をしていたんだ。ある時、自分に記憶チップが埋め込まれている事を知り。こんなあれた生活が、死んだ後誰かに見られてしまうと気が付き。真面目に生きようと心を入れ替えたんだ。」「その子はどうなったの?」「ビルから飛び降りて自殺したよ。記憶チップは粉々」
誰かに見られてしまうのは、人生に影響を与えすぎる。
こんなシーンも。ある追悼会に出席したアラン。未亡人を慰める若い女性。その女性は故人と肉体関係があった。う〜ん偽善。そう思うとカッターになるのは相当キツイ。
逆にこんなシーンも。恋人にある映像を見せるアラン。幻想と想像がチップに影響を与え画像が記憶されてしまう事がある。非常に綺麗な映像。
支離滅裂になってしまったが、記憶はやはり自分だけのものだと思う。
技術的に可能な事でもやっていい事と、やってはいけない事がある。
そんな事を考えさせられた映画。
追記「久々にスクリーンに登場するミラ・ソルヴィノの姿も見逃せない。」って書いてありますが、別にこの役は誰がやってもよい。