食パンは焼く

突然ですが、私は食パンは、焼かないと食べられません。
理由、30年以上前の給食が原因。小学1年の時。友達100人作るぞと張り切って登校した、紅顔の美少年だった私。
オリエンテーション?も終わり、いよいよ給食。幼稚園が弁当だったので、初めての給食。ワクワクしつつ、運ばれてきたお盆。一口食べた。「不味い」。当時は、今の子達が食べるような美味しそうな給食じゃないんですよ。給食センターで作られた物。今はどうだか知りませんが、その当時の給食センターの作るものといったら、あなた・・。食えたもんじゃないですよ。時々、「給食が懐かすぃ〜」的な事を言う人いるでしょ。信じられない。私の嫌いなものは、殆ど給食が原因。で、食パン。給食のパンは一部を除いて食パン。当たり前だけど生パ○(別の生パ○は好き?う〜ん、パ○ツだけあってもね。)。食えないっての。ぼそぼそするし、バター(マーガリン)ののりも悪い。耳まで食べないと怒られる。給食の時間は、私にとっていかに食パンを食べずにごまかす事が出来るか、の闘いでした。その中で、親類縁者を殆ど殺しました(昨日はおじさんが亡くなって食欲がない、これで1週間。次はおばさん。じいさんばあさんはそれぞれ20回ぐらい死んでます。)。
それ以来、焼かない食パンはただの小麦粉のかたまりだ、の精神で生きてきました。今でも焼かないと食べられません。それは美味しいパンを食べた事が無いからよ。女神がそう言えば信じます。でも、女神は現れた事がない。
後二つ。はやしライス。そんな不味い給食の中で唯一と言っていいオアシス的なメニュー。カレーライス。今考えるとそれでも不味いんですが、他はもっと不味いから、大好物。配膳係に賄賂を贈り(宿題をやってあげるとか、生パ○(ホカホカのやつね。調達方法は内緒。)をあげるとか)、大盛りにしてもらってました。それを5秒で食べ、お代わりしてました。カレー。
その日はやってきました。心の底では異変に気が付いていました。カレーの臭いがしない。でも、ご飯とバケツ(昔の給食は汁物はバケツの様な物に入れられてきた)。麗しのカレーコンビ。賄賂もバッチリ。大盛りにしてもらい、いただきますを待ちきれない私。そして一口。ん?カレーじゃない。何だこれ。思い込みとは凄い。食べるまで本気でカレーだと思っていた。今なら、知識としてハヤシライスを知っています。しかし、我が家では一度も出た事ない。私はパニックになりました。そして、固まりました。それ以上スプーンは動きません。その当時は給食を残すと食べるまで家に帰れません。嫌いだったら、最初から小盛りにします。配膳係を丸め込むのはお手のもの。しかし、カレーと信じて疑わなかった私は、大盛りにしています。どうしようもありません。でも、体がカレー受け入れ体勢になっているので、ハヤシは入りません。先生が言いました「食意地がはっているからよ」。その先生は中○ブリ子(ぶりっ子だから、松田聖子より前にぶりっ子を命名されていました)。若くて綺麗な先生でした。子供心に胸をときめかせていました。その先生に・・・・。絶望。小学4年生にして人生を諦めました。結局、ハヤシライスはそのまま。私は一人家路につきました。それ以来。ハヤシライスは一口も食べてません。いや、食べられません。他の嫌いなもの(ピーマン、でかいたまねぎ)は、我慢すれば食べられます。しかし、心の奥の方が傷ついた私は、一生ハヤシライスを食べる事は出来ない。
もう一つは、またの機会に。